医学部の研究室には医者が必要?

医学部の基礎系研究室に勤める(つまりは研究員)で、
医学部卒の人材(つまり医師)が減ってきてるそうだ。


これもまた、教授連は“危機感”を覚えているらしい。



医学部卒が減ってどういう人が増えたかというと、工学部卒の人とか、理学部生物系の人とか。



今の医学の基礎研究は多くが遺伝子レベルの議論をするわけで、
その点で上に挙げた工学部・理学部の人はまぁ言ってみれば“プロ”ですな。
学部教育の時点から(多分)ずっとそーゆー勉強をしてきて、っていうんだと思う。




一方、医学部ではどういう教育してるかっつーと、最終的には“医者を育てるカリキュラム”ですわな。

もちろんゲノムレベルの勉強もするけど、時間的にも質的にも“診断学・治療学”により多くを割いてるわけで。



とすると、


基礎研究室に工学系・理学系の人が増えて医学部卒が減るのは当然の帰結に思うんだけど。

どうなんでしょうねぇ

基礎医学を志す学生が減り、基礎系の教授たちは危機感を覚えているのだそうだ。
それでもって学生の臨床志向の主な原因は新臨床研修制度らしい。

出張講義に来てくださった札幌医大の先生がそう仰っていた。


学生には基礎研究に来て欲しいといって、日本人研究者の今までの業績を並べて説明なさっていたんだけれど、どこか的外れに思えた。

基礎研究に興味を持って欲しかったら何よりも第一に“学生を惹きつける魅力的な授業”を目指すべきじゃないかと思う。
基礎研究の重要性を幾ら喧伝したってさぁ、教科書をコピーしただけのプリント配るような授業をされたら、ねぇ。


(素晴らしい先生も勿論たくさんいるけど、)一部の基礎系の先生が時折見せる学生や臨床医を馬鹿にしたような態度はすごく嫌だし、2着目1000円のスーツ着てスリッパ姿で講義するような大人にもなりたくない。


新しい臨床研修制度はよく批判されているみたいだけれど、
自分の勤務先を自分で選ぶってのは、ごく当然の権利だと思う。


何が言いたいかというと今日の授業は退屈でした。

高齢者(の)医療

今日は、“高齢者の医療”についての授業だった。

7人1組になって、

  1. 加齢による生理的変化(病的なものを除いた変化)
  2. 加齢による精神的・心理的変化
  3. 高齢者の病態・症候の特異性(高齢の方の病気はどうのように表出するか)
  4. 高齢者への検査の特異性(好例の方に対する医学検査は若者へのそれと何が違うか)
  5. 高齢者の治療の特異性 (同上、治療に関して)

を調べて、パワーポイントでまとめて明日発表する、というもの。

この生理的変化ってのが、改めて表にしてみるとすごかった。

各臓器が萎縮して小さくなる、とか内分泌系の調節が悪くなるとかから始まり、
最終的にはDNA損傷の修復能力が低下する、というところまで、

まぁ、言ってみれば生命の機能は全部衰えていく

それらの最も根源的な理由はなんだろうかという話になって、今知られている範囲では、
テロメアの短縮なんだろうけれど…と。



話は大きく変わって、

空き時間に少し考えたこと。

これからの医療は、医学中心のものから保健中心のものへと変化していくしかないのかなと思う。


僕らも含めて、ヒトは死へ向かう過程を過ごしているに過ぎない訳で(それを今日、改めて実感したのです。)。

だから、それを遅らせる為に毎日、片手一杯の薬飲むより、(その為に行政が、個人が、お金使うより)、

薬は少なくてもいいから死ぬまでを有意義に過ごせるように在宅介護とかにお金を回せないだろうか。

つまり、医学中心から保健中心へと。

もちろん、薬を飲むことが重大な発作の予防になったり、とかそれは理解してる。
でも患者さんが名前も覚えられないくらい薬をたくさん渡されてるのを見ると複雑な気持ちになる。



でも、上で僕が言ったことはみんなが少なからず感じてることだと思う。
でも、なんでそれ(そういう視点に立つ医療行政)が行われないのか、と考えると、

今の状態が、日本国民が歴史的に選択してきた状態なのかなと思う。




最後に、“医学”“保健”という言葉の使い方はちょっと微妙ですが、ニュアンスを感じてください。
うまい言葉が見つからなかったので。

初投稿

医学部って変なところなんですよ。


でも自分が普段接する人の大半は医学部の人間だったりするわけで。


出来るだけ僕は外部的な視点を失いたくない。だから自分が考えたことを公開しようと思います。