高齢者(の)医療

今日は、“高齢者の医療”についての授業だった。

7人1組になって、

  1. 加齢による生理的変化(病的なものを除いた変化)
  2. 加齢による精神的・心理的変化
  3. 高齢者の病態・症候の特異性(高齢の方の病気はどうのように表出するか)
  4. 高齢者への検査の特異性(好例の方に対する医学検査は若者へのそれと何が違うか)
  5. 高齢者の治療の特異性 (同上、治療に関して)

を調べて、パワーポイントでまとめて明日発表する、というもの。

この生理的変化ってのが、改めて表にしてみるとすごかった。

各臓器が萎縮して小さくなる、とか内分泌系の調節が悪くなるとかから始まり、
最終的にはDNA損傷の修復能力が低下する、というところまで、

まぁ、言ってみれば生命の機能は全部衰えていく

それらの最も根源的な理由はなんだろうかという話になって、今知られている範囲では、
テロメアの短縮なんだろうけれど…と。



話は大きく変わって、

空き時間に少し考えたこと。

これからの医療は、医学中心のものから保健中心のものへと変化していくしかないのかなと思う。


僕らも含めて、ヒトは死へ向かう過程を過ごしているに過ぎない訳で(それを今日、改めて実感したのです。)。

だから、それを遅らせる為に毎日、片手一杯の薬飲むより、(その為に行政が、個人が、お金使うより)、

薬は少なくてもいいから死ぬまでを有意義に過ごせるように在宅介護とかにお金を回せないだろうか。

つまり、医学中心から保健中心へと。

もちろん、薬を飲むことが重大な発作の予防になったり、とかそれは理解してる。
でも患者さんが名前も覚えられないくらい薬をたくさん渡されてるのを見ると複雑な気持ちになる。



でも、上で僕が言ったことはみんなが少なからず感じてることだと思う。
でも、なんでそれ(そういう視点に立つ医療行政)が行われないのか、と考えると、

今の状態が、日本国民が歴史的に選択してきた状態なのかなと思う。




最後に、“医学”“保健”という言葉の使い方はちょっと微妙ですが、ニュアンスを感じてください。
うまい言葉が見つからなかったので。